徒然なるままに

くだらない日常を綴っております。

水でいいです問題について

お正月に放送していた"孤独のグルメ"の一気見を見ていて、長年自分の中で燻っていた問題が再び再燃した。

 

それは、飲食店における、

「私、水でいいです」

という、問題だ。

 

※これはあくまで私個人の意見であり、全ての方について"この意見は絶対正しい"と、

述べている訳ではありません。

飲食店での注文について、不快に思う方は、ご覧にならないことをお勧めします。

 

 

 

 

で、本題だ。

先程述べた

「私、水でいいです。」についてだ。

 

"孤独のグルメ"をご存知の方はお分かりだろうが、主人公の井之頭五郎さんは下戸だ。

ディナーで訪れた店の店員さんに、

「お飲み物何にされます?」

と聞かれると、大抵お茶類など有料の飲み物を注文する。

このシーンを見て、ある友人を思い出した。

 

その友人とは、もう疎遠で連絡も取っていないが、

20代の頃、カフェに一緒に行き、ケーキなど注文する時、セットメニューが無く、別料金だと、

「私、水でいいです。」

と言う。

※その時、私は大抵コーヒーなどを頼む。

 

それが、ずっと引っ掛かっていた。

学生さんならまだ理解できるが、いい大人でしかも正社員で働いているのに飲食店で飲み物を頼まないのはいかがなものか…と疑問だった。

 

飲食店で、

「お飲み物何にされます?」

と聞かれる事は、

「何か一杯は頼んでくださいね」

という暗黙のルールなのではないのだろうか。

 

そんなん、ケーキ頼んでるんだからいいじゃん!

と言えばそれまでだが、

とても気になっていた。

でも、飲み物だけ頼みたい時、

アンタ飲み物しか頼んでないじゃん!!

となる。

 

結果、どれが正しい解答なのかは謎だが、結局結論はでないまま今に至る。

 

 

 

 

続・職探しの日々

仕事が決まった。

 

決まるまで長かった。

 

 

6月末で前職の派遣契約が終了して以来、12月半ばまで失業手当を貰いながら、

ただ、ただ求職をしていた。

失業手当を受給された方は、お分かりだと思うが、受給に際して、

月一で指定された日にハロワークに期間内に行った、就職活動を報告する。

その中で、ハロワでの就職相談や検索機による求人検索も就職活動にカウントされる。

 

私は、都合の雇止めだった為、最低月に2回、就職活動した実績が必要だった。

しかし、求人自体が減っており、2回分の実績ができるか不安だったので、毎回認定日と呼ばれる活動報告日に次回分の就職活動をしていた。

初回認定日の後、”就職相談“という、ハロワ職員さんと対面で相談する方法を選んだ。

 

てっきり、いろいろこちらの意見を酌みつつ、求人提案をしてくれるのかと思った。

 

しかし、現実は違った。

順番で呼ばれ席に着く。希望職種を尋ねられ、事務であることを告げる。

で、失業から今まで、活動したか聞かれ、派遣で1社だけ職場見学に行けたが不採用だった事と、他は社内選考の段階で落ちている事を素直に伝えた。

年配の職員さんは、事務は人気職種が故に倍率が上がっている事等、誰もが分かりきっている事柄を私に伝えた。

そして、そんなに応募しているのに1社も通らないのはおかしい、もっと協調性をもつべきだ、とやんわりと伝えてきた。

 

あって5分たらずの人物に何故私の本質が理解できたのか不明だったが、

反抗しても全く意味はないので、

「エー、ハイ、ソウデスネ」と答え席を立った。

(こんな所が協調性にかけるのか!?)

 

これが、就職相談なのか・・・。

毎回、こんな感じなのか?と思っていたら、求人検索機でも就職活動の内にカウントされる事実を知り、それ以降はそれを通した。

 

もしかしたら、相談の仕方を間違っていたのかもしれない。

しかし、真実は闇の中である。

 

で、話題は変わってこの半年の求職活動とは。

派遣の契約終了が決まり、通常なら所属している派遣会社から次の仕事の提案があるはずだが、私の当時の派遣会社は事務案件がなかった。

ので、他の派遣会社の求人にエントリーしたが、見事に社内選考落ち。

先ほども、書いたが、退職後に1件だけ短期の案件が職場見学に繋がったが、

不採用・・・。

 

いまだに、他の方ってどう活動しているのか不明だけど、これは私の場合。

主に、求人サイトを調べまくる。

私調べだと午前11時に更新されているケースが多いので、一通り調べ、

同じく、登録している派遣会社のサイトも調べる。

これを、12時、15時、18時と調べまくる。

そして、希望案件にエントリーするという事を繰り返していた。

それ以外だと、派遣会社からの紹介など。

 

そんな感じしか出来なかった。

 

重ねるが、他の方はどの様にして求職しているのだろう。

 

7月~8月と本当に求人が少なかったが9月以降本当に微々たるものだが、派遣会社の仕事紹介が増えてきた。

しかし、エントリーする案件という案件、ほぼ社内選考落ち。

 

いい加減、ハロワ職員に言われたことが過り、

「自分て本当に協調性どころか、人間として終わってるのでは!?」

という、暗黒大殺界クソ闇地獄に落ちていた。

 

 各派遣会社のお仕事紹介の電話も半年も受けていると、

パターンも大体読めてくるようになった。

 

 

まず、結構自分が適正がありそうな仕事内容だと社内選考はだいたい2日以内に通る。

そうでないものは4~5日待たされるパターンが多かった。

そんな中、物凄い久しぶりに2つの派遣会社の社内選考に2社通ったのだ。

 

 

もう、心躍った。

※まだ受かってもいないのに。

 

そのうち、派遣会社Aからなんと、先方の都合で求人自体がストップした、と報告の電話があった。

気持ちを切り替えて、もう一社、派遣会社Bの案件に集中しようと気持ちを切り替えていたが、別の方で決まってしまった、と連絡があった。

 

はい、暗黒大殺界クソ闇地獄再来。

 

これは、年内決まらないね・・・。

と肩を落としていた。

 

そして、もう望みマイナス10000ポイントくらいの求人がでていて、応募した。

実はその会社はエントリーは今回が初めてではなかった。

そして、今のご時世になかなかない、正社員だった。

 

その会社は前回実は退職時に、別拠点の求人で応募し、やはり、書類選考で落ちていて面接までも進めなかった。

 

ホントにやさぐれていたので、今回もどうせ書類選考落ちだろ!と諦めていた。

しかし、応募して2日後に面接が決まった。

まあ、面接者多数なんだろうな~どうせ落ちるさっ。

と、どこまでも卑屈なやさぐれ野郎気分で先日、面接に赴いた。

 

 

 

しかし、受かった。

 

和やかに面接してくださり、

気分的にも振り切れていたので、ビビり野郎で思った事がなかなか言えない性格だけど、月給の交渉も出来た。

 

面接で手応えを感じてはいたが、まさか受かるとは思わなかった。

 

 

こうして、私の約半年渡る職探しの日々は幕を閉じた。

 

Twitterなどで同じ境遇の方が暗黒つぶやきにいいねをしてくれるのが心の支えの一つとなっていた。

この場を借りてお礼を申し上げたい。

 

 

とりあえず、次に向けて頑張ります!

 

 

 

 

 

破天荒な看護師に出会った日々

2年前のとある日、夫が入院した。

 

その時期は販売から事務職へ契約社員として転職したばかり。

ロクにPCも使えず、当時の上司に冷ややかな目で見られて

「こんなんじゃお話になりませんから・・・。」

と言われ、パソコン教室にも通い始めた矢先だった。

 

事の発端は1週間ほど前。

夫が、

「おへそから膿がでる・・・」

 

と訴えてきた。

それだけではなく、お腹も何だか張ってるとも言っていた。

 

私はその時、

「臍炎(おへその炎症)にでもなったんじゃないの?」

と、軽く受け流した。

 

悲痛な表情で何かぶつぶつ言っていたがあまり深く取り合おうとしなかった。(鬼畜)

2日程して、夫は出張へと旅立っていった。

 

帰宅すると、

「膿の量が増えていて、着ているシャツに染みる程になっている、それだけではなく明らかにお腹が膨れてきてベルトが閉まらない」

と伝えてきた。

流石に、ちょっと心配になり、病院へ行くよう促してみた。

 

かかりつけの病院で診察してもらうと、

医師は

「うぇ、これはここでは診れないから総合病院へ紹介状を書くよ」

と言われたそうだ。

ちなみに、このかかりつけ医は普通に診察していて

゛うぇ”とか、゛げぇ”とか発する。

地味にイラつく。

 

後日、病院で診察を受けると病名は

「尿膜管遺残症」

 

なんと、あのフィギュアスケートで活躍する、羽生結弦選手も罹った病気だそうだ。

 

夫の症状をものすごく簡単に説明すると、

胎児のときに、母体へと繋がってるおへそと膀胱をつないでいる尿膜管という器官が、本来は閉じるものが閉じておらずそこに細菌感染を起こしている状態だそうだ。

放っておくと、悪性腫瘍へと繋がる可能性もあり、手術で摘出する運びとなった。

 

事の次第を聞き、手術までしなければならないという状態に今度は私が逆に心配になってしまった。

打って変わって夫は症状がはっきりし、うきうきと入院準備をしていた。

(入院中にゆっくりできるから、見るといってアマプラも登録していた。ポジティブモンスターめ。)

入院前のとある日、必要書類に署名捺印等しなければならなく、

入院中お世話になる看護師さんに挨拶する機会があった。

その方は珍しく男性看護師だった。(以下Dさん)

しばらく行けないからと前日、マッサージまで行き、(医者に確認済)晴天のある日、手術と相成った。

 

当日は私も休みをもらい、病院にて待機することにした。

 

夫は手術の直前まで能天気で明るく、手術室へと消えていった。

その後、あんな事になるとは知らずに・・・。

 

手術室へ消えた直後、Dさんに、

「奥さんはここで待っていてもなんにもならないので、どこかで時間でも潰してください。手術は14時ごろ終わりますので。」

と結構ドライな言い方をされた。

 

まぁ、携帯の番号も伝えていることだし、手術前の診察でも簡単なものだと聞いたし、

外のファミレスでも行くか・・・とそのまま病院を後にした。

約束の時間が近づいて病院へ戻ると、Dさんは

「ああ!奥さん、どこに行っていたんですか!?探してたんですよ!」

とちょっとキレ気味で、

「旦那様、手術がとっくに終わってます!」と続けた。

 

私は脳内で、

「お前が病院で待ってると邪魔的なニュアンスで言ってきたから、時間潰してたんだろ!言われた時間より早く戻ってきたわ!」

とすみません、と謝りながら脳内でブチ切れていた。

 

全身麻酔での手術だったので、麻酔から回復するまで夫は個室で休んでいた。

手術直前の能天気な様子より、当たり前だが、がらりとかわり夫は弱々しくベッドに横たわっていた。

足には血栓防止の機械をしており、点滴もされていて、その姿はかなりショックだった。

手を差し出してきたので、握ると氷の様に冷たく、普段の明るいポジティブモンスターからのギャップに再び、ショックを受けた。

 

暫くすると、Dさんがやってきて、

「麻酔もだいぶ切れたので立ってみましょうか。」

と傷を痛がる夫に宣告してきた。

 

私はこんな手術直後で立ってもいいのか疑問だったが、

プロの看護師の意見だったのでじっと見守った。

 

そして、夫はうめき声をあげながらなぜか、その場で立たされて、再びベットへ戻された。

※のちにこんな状況でなければぶっ飛ばしてやるところだったと言っていた。

そろそろ大部屋に移れますね、と移動し、

夫を見守っていると、別の女性看護師(以下Jさん)が様子を見にやってきた。

Jさんは夫を見るなり、

「あら、なんでまだ術後に敷くシート(多分血とかを吸収するやつ。ペットシートみたいな素材だった。多分。)があるのかしら・・。」

とつぶやき、シートどかし、

「汗も沢山かいてますね、包帯とか換えますね。」

と仰った。

私の目にはJさんがエンジェルに見えた。

だがしかし、夫の包帯を換えるときにエンジェルJさんの表情はみるみる般若のごとく豹変した。

「・・・あら、傷が開いている・・・。」と言い、

「なにかありましたか!?無理やり動いたとか!?」と詰問され

私は、

「さっきDさんに手術直後だったのに立たされました!」とあっさりチクった。

Jさんはこの世の終わりの様に

「嘘・・・手術直後に!?」

と絶句し、憤慨していた。

 

その後、ナースステーションに何かを確認しに行き、病室に戻ってくると、夫に事の顛末を詫びた。

ちなみにDさんは、それを境に2度と夫の前に姿を現さなかった・・・。

 

余談だが、男性はどんな女性でも胸元がチラリズムするとつい見てしまう傾向にあるが、

女性もまた然りと思った出来事があった。

Dさん以降は通称アジャ氏(可憐な女性だったがパワーがアジャコング並みにあったので・・・。スミマセン)と、名付けた女性看護師が夫の担当になった。

手術直後は下着は履いていなかった夫が、着圧靴下をアジャ氏に直される際、

浴衣がはだけ、陰部がポロリした。

私は脳内で

「あ、ポロリ」と思い、アジャ氏を見るとポロリ部分をガン見していた。

なにかしみじみとなった。

実にくだらない余談だ。

 

それ以降は、平和な入院生活だった様だ。

野生爆弾のコントを見て笑いすぎて傷が開きかけたり、

アジャ氏にお尻をガシガシと拭かれたり、

病室の人と仲良くなったり、

担当医に影で「ポコちゃん」とあだ名で呼ばれているのが発覚したり、

なかなか充実(?)した生活を送り無事退院に至った。

 

夫も大変だったがお見舞いに通う私も結構大変だったのはここだけの話だ。

 

なお、ここまで書いておいて何ですが、夫が入院中お世話になったの看護師さんはアジャ氏を始め、本当に嫌な顔一つせず看護してくださり、

素晴らしい方たちばかりでした。

ありがとうございました。(Dさん除く)

前派遣会社より仕打ちを受けた日々

お久しぶりです。

 

近況でございます。

そして、今回は愚痴ります。

加えて、回想なども。

北海道神宮で引いたおみくじの通り、案の定無職継続です。

あの後、派遣の職場見学に行きましたが見事玉砕。

サクラチル・・・。 

 

Twitterでもつぶやきましたが、いま季節柄、1案件の応募倍率が半端ないそうです。

 

で、早速愚痴りますが、この職場見学をセッティングしてくれた派遣会社とは別の前職場の派遣会社に、

「そういえば、離職票届いていないんですけど」とお伺いをたてた所、

 

「ななしさんが希望しなかったから発行していません」

との回答が。

 

「もしかして、健康保険証の資格喪失証明書も希望しないと貰えないのですか?」と質問すると同様の返答が。←これって普通なの?

 

勉強不足で恥ずかしいのですが、今まで派遣社員で勤務していて、両書類とも必ず退職時に貰えていたのでまさか希望制とは露知らず・・・。

でも、前派遣会社も次の仕事の紹介もロクになく、(あったけど事務希望に対し工場

勤務の仕事だった・・・。)その後、連絡も来たと思ったら、仕事紹介では無いし、

ましてや、勤務最終日に派遣担当さんが、

「今日、退職する人が多くて退職届、ななしさんの分無くなっちゃいました☆」

と悪びれもせずのたまい、その後返信用封筒にも切手も貼らずに寄越してきやがりました。

 

このコロナ渦で求人減ってるの知ってるのになぜ、離職票発行しなかったのだろうか。

勤務中はそこそこお世話になったけどもう二度とここで勤務する事はなかろう。

 

思い出したけど、派遣会社の担当さんて大手になるほど鬼畜ドライになっていく傾向だと個人的に思っております。

10年くらい前に勤務していた派遣会社なんて、結構シビアで、

当時接客販売をしていたのですが、職場内で蔓延していた風邪をこじらせ、

急性喉頭炎になり、

声が「ア”--ア”--」とハスキーを通り越して森進一ばりに出なくなり、勤務前に耳鼻咽喉科に行ったところ、

"喉が尋常じゃないほど腫れていてこのまま喋ると窒息して死んでしまう恐れがある。仕事は1週間程休む事”と診断されました。

 

思い出しても結構辛かった。

夜は喉の激痛と咳でほとんど寝れないし、熱も下がらないし。

 

派遣担当に状況を話し、職場にも直接出勤して次第を伝えると、職場は、人員も足りているし閑散期なので休む事を承諾。

 

だが、派遣担当さんより毎日、体調の心配ではなく

明日は出勤できますか?どうなんですか??と催促の電話がきました。

 

こいつ、私が休む事によって自分の業績が落ちることしか心配してねぇな!

と、怒りを覚えたことを記憶しております。

 

なので、かなり大手さんにはいい思い出がなく前職は小さい派遣会社だったのにこんな感じだった。

 

以上、愚痴でございます。

 

 

己の増量に気が付いた日々

とある日。

 

気が付いてしまった。

自分の体重が大台に突入した事を。

 

時は前職在籍中の今年初めごろ。

気が付いてしまったというか、迫りくる現実から目を逸らしていたのだが、

日に日に恐怖感は感じていた。

 

お風呂に入っている時、明らかに肉感が増している。

まるで中世の絵画に出てくる裸婦の様な肉感。

いつものサイズの下着がきつい。

パンツを試着したときいつものサイズがきつすぎて入らない。

 

しばらく乗っていない体重計に乗ってみると、自分の人生の中で設定している、

”ここまできたらアカン値”の体重を叩きだしていた。

 

私はもちろん細身を必要とされる職種ではなく、ましてやミスユニバースでもない。

自分が太った事により、日本経済が破綻、混乱をきたし、

街中に魑魅魍魎が溢れる訳ではない。

太ろうが痩せようが、まったく問題はない。

ここまで書いておいて自分でも内容が訳ワカメだが(死語)、

 

30代前半まで接客業をしていた。

毎日休憩時間以外、常に動き回っているので、体重は増えるものの大台まではいくことはなかった。

だがここ数年でオフィスワークになり、勤務中はほぼ動かなくなり、

また、仕事のストレスだと言い訳をし、昼は自分の好きなものを食べ、ほぼ毎日酒を浴びるように飲んだ。

(毎日発生する空き缶、空き瓶の数に夫は引いていた。)

 

そのツケが順調にすくすくと脂肪を成長させていった。

 

そして、ずっと乗っていなかった体重計に乗る決意に至った瞬間がきた。

とても私の性格の悪さを露呈するエピソードだ。

 

とある日、前職の社員Sさんが業務について話かけてきた。

その方は私と背丈はさほど変わらず、体形もほぼ一緒で、

よく、他の人に見間違われるくらいだった。

 

※話は脱線するが、私が避難訓練が日に1Fから上層階まで猛ダッシュで階段を駆け上がっているのを見た、元気だねぇと話しかけられた事がある。

もちろんその時、ずっとSさんと一緒だったので彼女は違う。

しかし、私は体力がほぼ赤子以下なので階段は1フロアダッシュで死に目を見る。

あれは誰だったのだろう・・・。

あなたの知らない世界。

 

話は戻ります。

で、Sさんに話しかけられたとき、薄手のカットソー姿で椅子に座る彼女の立派な腹肉の出方がまったく自分と同じだと気が付いた。

 

そして気が付いた。

自分は第三者にはその様に見えているという事に。

その晩、体重計に乗り、冒頭に至る。

大幅な減量はしなくても、せめて健康的な減量がしたいと決意した。

怠け者の私は、手っ取り早い方法として、以前から気になっていたハイパーナイフを試してみようと思い立った。

 

時は過ぎ、緊急事態宣言が明けいつも行っているマッサージ店へ赴いた。

そこは、エステサロンとは違い、マッサージがメインの店舗。

私の中ではエステサロンのイメージは結構、いやかなり勧誘が凄い印象だ。

まだ20かそこらの頃に脱毛体験のチケットを貰い、某大手チェーン店にのこのこ行ったところ、自分の毛深さを嘆かれた挙句、60万円のコースを組まれ、

当時アルバイトだったし、そんな大金工面できないと断ると、

月1万での返済でもいいから契約するべき、と言われ、仰天した思い出がある。

(その時は、もう仕事を辞めて無職になると嘘をついて解放してもらった。)

しかし、そこはマッサージメインで営業しているため、勧誘が一切ないので選んだ。

 

個室に通され、

紙パンツと紙ブラを着用する様促され、うつぶせで待つ様に命じられた。

よかった・・・。

どこぞのサロンだと測定があると書いてあったがここは無かった。

これ以上の数値の現実は受け入れられないところだった。

紙パンツ、紙ブラの刑に処され(?)しばし待つと、

がらがらと装置を運ぶ音と共に担当の方が入ってきた。

 

「では、始めます。」

 

と何かオペでも始まってしまいそうな雰囲気でスタートした。

 

なにぶん、うつぶせなので機械が見えなかったが、

肌に当たる感じは冷凍庫で冷やしたアイロンを肌に滑らしている感じだ。

ひたすら、憎き脂肪の消滅を祈りつづけた。

1回目は特に痛みは無く、豚の丸焼きのごとくグルグルと体の角度を変え、

最後はオイルマッサージで終わった。

また、担当さんが淡々とした方だったので恥ずかしい思いも全くなかった。

 

前にオイルマッサージをしたとき別の方に、

「運動嫌いですか・・・お肉がちょっと・・・笑」

と言われて真実だがグサッときたものだ。

海外の方だったので悪気は無いと信じたい。

 

そして、疑り深い私は、もしや普通のマッサージよりいい金額だから

チケット購入とかの勧誘があるのではないかと思いながら、

施術後に出されたお茶を啜っていたが、特になく施術後2時間は食事しないように等の注意事項を伝えられた。

理想の施術目安を伺うと、本気で痩せたいなら初めは3日に1度、徐々に間隔を空けていくのが望ましいと仰った。

でも、現実は難しいから自分のペースでいいですよと付け加えるられた。

 

ハイパーナイフから3日間が一番痩せやすいそうなので、軽めのストレッチやリンパを流したり、お水をたくさん摂る様勧められた。

 

そこから3日間禁酒をし、食事に気を付け入浴中リンパをながし、軽くストレッチをした。

水分もガブガブ摂取した。

3日過ぎたところで、気のせいかちょっとお肉が減った気がした。

 

まあ、まあ、禁酒もしているし、いつもと違う生活だから多少は減るでしょう・・・。

と思い、しかし一縷の望みに賭け1週間ちょっと経ったある日、

2回目のハイパーナイフを予約した。

 

2回目は・・・。

痛かった。

そう、かなり痛かった。

二の腕に痣もできた。

リンパを攻撃し、ゴリゴリ音が聞こえそうな勢いだった。

しかし、担当者さんの気合を感じた。

同じく、脂肪の消滅を脳内で唱えつづけた・・・。

 

3日間再び1回目と同じ様に過ごした。

3日後、体重は驚異的に減ってはいないがウエストが緩くなったのを感じた。

しばし見ていないくびれなるカーブも見え始めた。

 

1ヶ月ほど過ぎ、予約した3回目も、

以上参照。

ゴリゴリ・・・。

 

そして今に至る。

 

結果として体重はマイナス3.5キロ減。

見た目は計測していないので数値的な変化は不明だが、

だいぶ変化したと思われる。

 

何より、きつくて入らなくなる危機があった下着とパンツが難なく入るようになった。

ブラジャーはホックが一番奥側の場所になった。

振り返った時たゆむ段になった背中の肉がほぼ無くなった 。

 

そんなこんなで、ゆるいダイエットはまだ継続しているが、

一番変わったのはお酒の量が一番変わった。

前まで、一晩にワイン1本空けていたのが、飲めなくなったのである。

朝起きた時の飲みすぎへの後悔が無くなった。

そして毎日飲んでいた私が、休肝日を設ける事もできた。

 

とても支離滅裂な内容だがとりあえずハイパーナイフは私に合っているという事だ。

 

 

 

 

職探しの日々

どうも、ななしです。

 

7月から職探しというダンジョンを彷徨い、早18日目。

昨日の夕方に派遣会社より、近日ようやく職場見学いける旨連絡がありました。

よかった。

 

派遣で勤務されていない方には職場見学?はて?何ぞや?とお思いでしょうか。

 

派遣社員としての求職から勤務までの流れとして、

求職者が求人に応募or派遣会社よりお仕事紹介

→エントリー

→派遣会社内で社内選考

→職場見学(昔は顔合わせと呼んだものじゃのう。)

→採用or不採用

とういのが流れであります。

 

世の中ではコロナの影響で、「5月危機」なんて囁かれている通り、現在求職者は数多いる様です。

同じ求職中の方ならお分かりだと思いますが、求職サイトで新着案件なんて出ようものなら応募者が殺到するらしく、

早い時で次の日には案件がサイト上から消え、

また、求職サイトのヘビーウォッチャーなら、

「あら、この求人ずっと募集している・・・」なんて思う求人すら残っていない。

そんな状況が続き、転職前線異常アリ。が続いている現状です。

 

私も在職中から気になる案件には即応募、蝶のように舞い蜂の様に刺す!←?

を行動しておりました。

当たり前じゃん、とお思いでしょうが、私は本当は優柔で転職の際はうじうじ悩みこわごわ応募するタイプです。

それ程、求人ないのだねぇ・・・なんてどこか他人事の様に感じておりました。

 

私が第一に希望する職種は結構ニッチな職種でなかなか募集がかからないのですが、

幸か不幸か、コロナで退職された方がいたのか、この時期にしては珍しく求人があがっておりました。

 

しかし・・・応募すること社内選考落ち4回。

1件なんか派遣会社から仕事紹介の案件だったから結構手応えアリ?なんて、

調子ぶっこきあそばしていたら選考落ち。

その連絡を受けた時、全ブログでも書いた北海道神宮で引いたおみくじの仕事運、

「思うように成ゆきが運ばない、はっきりしないことが多い。焦っては駄目。相手動きに合わせることが必要。」

が脳裏によぎりました。

でも、相手の動きに合わせるって、相手って誰?誰なの?教えておじいさん・・・。

と小トリップ。

 

しかし、やっと、1件職場見学までたどり着けました。

(どうなるかはわからないけど・・・。)

 

ちなみに北海道神宮で人生初の絵馬を奉納してみました。

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ファンシー絵馬

驚異のリラックマ

絵馬の内容はもちろんお仕事のこと・・・。

ちらっと見えた他の絵馬には多かったな、就職、転職関係のお願い。

 

 

 

 

 

 

失業までの日々

はじめまして。どうも、失業者です。

出だしからすみません。

【ななしなの】と申します。

 

このコロナ渦の中、例に漏れず私、ななしは派遣先から契約終了を宣告され、

6月末にて失業いたしました。

実はこの記事の前に派遣切りにあう途中経過を在職中に綴りましたが、生来のビビりので、万が一ブログが発見されるのではないかという謎の心配の為、前記事は削除した次第です。

 

そんな前置きは良しとして契約終了を知るまでが結構悲惨でした。

何故かといいますと、自分が切られるのではないか・・・と察知したのが、他派遣会社での人材に関しての営業の電話を受けた時です。

そもそも、あるきっかけで上司の機嫌を損ねてしまい、ひやひやした日々を送っていた矢先の出来事で電話事件は起こりました。

上司が、まあ分かりやすい性格の方で、ご機嫌な時は冗談なんか言い合って平和なのですが、

ご機嫌斜めの時は当たりが強く、基本シカト。

質問しようなら、なんでそんな事もしらないのか!?と叱責されます。

目安は私が朝に、

「おはようございます!」と挨拶をしてもフルシカトをかまされて、ああ今日はご機嫌斜めだなぁ、と察知して

1日おとなしく縮こまって過ごすというのがお決まりでした。

それが機嫌を損ねてからずっと続いており、前記の電話事件があり、

これって、自分切られるんじゃね?と薄っすら脳裏によぎりました。

なぜ他派遣会社(以降A社)の営業電話で察知したのかというと、前職の派遣社員の定員は1名のみで、2名在籍することがないからです。

 

まあ、そんな電話で切られると判断するにはまだ早いと思い、

その日は心臓バクバクのまま過ごしましたが、次の日、また同じA社から電話があり、上司は折り返すと伝え、別室に消えていきました。

 

はい、終了確定。

 

こりゃ決まったね。

だって上司はいつもだったら営業系の電話は瞬殺で切るもんね。

はい、終わりましたよ。

と自分の脳内で蛍の光が流れておりました。

 

昼休憩に自分の派遣担当に確認を取ると、既読のまま夜まで返事はこず、

ようやく、「コロナの影響が大きく6月で契約終了の可能性が高い」と返信があり、

コロナの影響?上司が自分に機嫌損ねたからじゃない?

と、若干首を傾げましたがとにかく終了確定と相成りました。

余談ですが、この上司は数か月前に自分の当時の上司を追い出してトップに上がっております。

(上に直談判した!と言っておりました)

 

それから次の派遣さんは1週間もかからず決まり、

(なぜかA社との顔合わせは私の昼休みに行われた。なぜ別日にしなかったのか。)

相変わらず上司からは契約終了の報告もなく、それ以降、人が変わった様に上機嫌で接してくる様になりました。

 

そんなに上司にイライラを発生させていたのか・・・と5分くらい落ち込みましたが、まぁ最後の1ヶ月弱お互い気持ちよく過ごせるならいいかと方向転換し、引継ぎ書類の作成の勤しみました。

 

で、結果契約終了の旨を上司から実際に伝えられてのは、後任の方が来る前日。

内容としてはコロナの影響でこれからは社員は別業務をしなければならず、

いままで社員がやっていた経理業務に強い人物を急遽入れる必要があり、該当する人物にシフト変更したかった・・・とのこと。

(ちなみに私は経理経験なし。)

そんな内容を笑顔でカラカラと伝えられ、はは・・と乾いた笑いで返しました。

ラフだな、契約終了の伝え方が。

 

引継ぎはあっという間に終わり、今に至ります。

本当にあっという間。

その後、同じく派遣で仕事を探すもことごとく選考落ち。

そして、昨日も選考落ちの連絡があり、今はようやく1件選考が通り、営業担当さんより連絡待ちの段階です。

 

話題はかわりまして、緊急事態宣言明けに訪れた、北海道神宮で引いたおみくじが結構内容が当たっていて若干震えております。

 

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北海道神宮のおみくじ

 

おみくじを引いた瞬間、冷や汗がでました。だって思うような結果が出ず、

焦っていたから。

※ちなみに小吉でした。運勢は地道に努力し、謙虚にね!との内容でしたよ。

 

とりあえずこれまでの状況はこんな感じです。